さてさて、年の終わりに1年を振り返ると言うのも大事なことです。
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2008年 雑感
何時間も床を磨きながら、私の脳裏にはある言葉が浮かんでいた。それは大リーグのイチロー選手の
「プロは、自分のためにプレーする」
という言葉である。
彼はこの言葉に相当の思い入れがあるらしい。自身が尊敬する多くの人たちに「あなたは誰のためにプレーするのですか?」と聞いてまわったそうだ。王監督にも同様の質問をしたとき、監督から
「それはもちろん、自分のためだよ」
との答えを聞いて、「監督、有難うございます」と述べたと言う話が伝わっている。
さてご存知の通り、野球に限らず団体競技では、チームのためのプレーが求められる場面は多い。オリンピック選手であれば「お国のため」と言う大義が生まれることもあるだろう。だから、「自分のため」と言い切る彼の発言に違和感を覚える方も多いかもしれない。ではなぜ彼は、「自分のため」などと言うのだろうか。単なる自己中心的な発想に基づいた言葉ではないはずだ。
正直言うと私も最初、彼のこの言葉があまり理解できないでいた。でも今なら、少しだけ理解できる気がしている。ちょっと長くなるが、自分の体験に基づく話でも書いてみようと思う。
実は私はほぼ毎朝、会社の周りのゴミを拾って歩いている。ついでだから近くの会社の前や周辺の道路など、毎日場所を変えながら拾って歩く。もうかれこれ3年ばかり続けている習慣だ。
なぜこんなことをはじめたかと言えば、最初の動機は不純で(笑)、「環境系の企業がゴミ拾いやってたら、カッコいいし目立つかな。もしかしたら誰かが見ていて、会社の売上や評判に結びつくかも」といったようなものであった。
ある日突然、やってみようと思い立ち、それ以来続けている。
だが、最初は何度もやめようと思った。
朝の7時過ぎに出社してゴミを拾うのは、ハッキリ言って楽ではない。眠いし、めんどくさいし、冬は寒い(^_^;)
それに、ゴミを拾い始めて数ヶ月たった頃には、社員は全員私がゴミ拾いをしていることに気づいていたはずだ。だが、誰一人、一緒に加わろうとはしなかった。正直、私は、だんだん腹が立ってきた。
おまけに、拾っても拾っても、また翌日には吸殻や空き缶が転がっている。朝、私とすれ違う通勤者は、いったい何を考えているのだろうか。
だから私は、他の社員が一緒にゴミ拾いをしないこと、いつまでもマナー悪くゴミを捨てる人たちに、いつも腹を立ててばかりいた。ゴミを拾うたびに、腹が立って腹が立って仕方がなかったのだ。
でもある日から、なぜかそれほど腹が立たなくなった。自分でも不思議なのだが、今では腹立たしい気持ちはほとんど起きない。
いったいなぜか?
それは「自分のために掃除をしよう」と決めたからだ。
思えば、それまでの自分は「人のために」掃除をしていた。社員のため、近くの会社のため、見知らぬ誰かのため・・・
だからこそ、「俺がこんなにやっているのに!」と、いつも腹を立ててばかりいたのだ。考えてみればこれは、自分勝手な発想である。傲慢のそしりを免れないと言える。
だが何年も続けてみて、ようやくそうではないと気づいた。
「自分のために掃除しよう」と決めてから、すれ違う人に自然に挨拶できるようになった。
不思議なもので、こう考えるようになってから、社員は加わり、またゴミもほとんど捨てられることがなくなった。こう書くと偽善者のように聞こえるかもしれないが、今では掃除することに感謝の気持ちすら沸いてくる。
以前は「誰かのためにやっている」感覚だったのが、今は「させていただく」感覚に変わってきたとでも言うのだろうか。
こんな体験を通じて、私はイチロー選手の言葉を解釈するようになった。
ところで、実は仕事も同じである。
会社のためでも、誰かのためでもない。
私たちはまず、「自分のために」仕事をするのだ。
自分のためにする仕事は、嘘がつけない。そもそも、自分をごまかしても仕方がない。
失敗するのも自己責任。厳しく自分を律することが求められる。
つい楽なほうに逃げたくなるとき、私はいつも「自分のために」という言葉を思い出すようにしている。
もちろん、私のやっていることなど、イチロー選手に比べたら、数千万、数億分の一のレベルある。本当はあのような一流選手の言葉に、自分の体験を絡めて話すなど大変おこがましいことを承知の上で、あえて恥をさらしてみた。
以上が、2008年の雑感である。
長文、大変失礼しました。
2009年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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